KIRIN's Story #01 暮しの手帳×KIRIN対談企画(前編)日本の暮しとビール これまでとこれから

『KIRIN』が日本の暮らしと共に積み重ねてきたビールの歴史と、『暮しの手帖』が見つめてきた食文化をはじめとする日本の暮らし。その関係性を紐解くべく、『暮しの手帖』の編集長を務める澤田康彦さんと、キリンビールのマスターブリュワー 田山智広による対談が、『SPRING VALLEY BREWERY 京都』で行われました。

普段からよくビールを飲まれているという澤田さんは、「もうず~っとキリンのビールを飲み続けているから、いつ声がかかるんだろうかと心待ちにしてたんですよ(笑)」と笑顔で田山と挨拶。お互いに好みのビールを選んで乾杯すると、対談は和やかな雰囲気の中ではじまりました。

前編では、贅沢品だったビールが日常の飲み物になっていった変遷や、移りゆく時代の中で考えさせられる豊かさの本質、物を介した人と人とのコミュニケーションなど、様々な視点から語られた“ビール”と“暮らし”の関係性についてお届けします。

Profile

澤田康彦『暮しの手帖』編集長

『暮しの手帖』編集長。1982年平凡出版(現マガジンハウス)に入社。『BRUTUS』『Tarzan』『Olive』等の編集者、書籍部編集長等を務める。本業の傍ら、エッセイスト、映画の企画プロデューサー等々、活動は多岐にわたる。マガジンハウス退社後、フリー編集者兼育児主夫を経て、2015年『暮しの手帖』編集長に就任。家族のいる京都と、母のいる滋賀、赴任先の東京を行き来する日々。本誌のほか、最新編集本に『戦中・戦後の暮しの記録』シリーズ全3冊、最新エッセイに『ばら色の京都 あま色の東京──『暮しの手帖』新編集長、大いにあわてる』(PHP研究所)がある。

田山智広 キリンビール株式会社マスターブリュワー

1987年キリンビールに入社。工場、R&D、ドイツ留学等を経て、2001年よりマーケティング部商品開発研究所にてビール類の中味開発に携わる。2013年から商品開発研究所所長、2016年4月からキリンビールのビール類・RTDなどの中味の総責任者“マスターブリュワー”に就任。今年リニューアルした「一番搾り」や「本麒麟」も監修。『SPRING VALLEY BREWERY』は企画立案より携わり、現在もマスターブリュワーとしてビールの企画開発を監修する。

贅沢品から、家庭で当たり前に飲まれるものになったビール

今から約130年前の1888年にキリンビールを発売以来、キリンのその長い歴史は、日本人の暮らしと共にありました。

一方で、そんな暮らしの変遷を終戦以降見つめてきたのが、1948年に創刊された雑誌『暮しの手帖』です。衣食住をはじめとする様々な面から一人一人の暮らしの大切さを伝え続けてきた同誌は、「100号ごとに初心に立ち返る」という初代編集長・花森安治氏の意思を受け継ぎ、発行号数100号ごとに「第◯世紀」という区分でリニューアルを繰り返してきました。

『暮しの手帖』は、2019年の8-9月号から第5世紀に入り、総力特集には「ちゃんと食べてゆくために」というテーマが掲げられました。創刊から約70年にわたって日本人の“暮らし”を追いかけてきた『暮しの手帖』にとって、「食べる」というのはどういう位置付けにあるテーマなのでしょうか?

澤田:暮らしというのは、基本的に衣食住という言葉で語られますよね。その中でも原点となるのは、人間が生命を維持していくための“食”だと思うんです。

僕は2015年から『暮しの手帖』の編集長をやっていますが、その間にも“食”に関して読者の迷いというのがいよいよ伝わってくる時代になったなと感じてるんです。そこで、リニューアル後の1号に据える中心テーマは“食”にしようと決めました。今改めて、「ちゃんと食べてゆくために」というのがどういうことなのかを考え直していきたいなと。ここでは「ちゃんと」が主眼点です。

老若男女それぞれの生活形態が違っていて、それぞれに悩みや希望を抱えているのだと思います。現代人って、みんななんか時間に追われていますよね。「ちゃんと」が難しい。その中で、どうやって“食”と向き合うかが大きな課題だなと思っています。

ビールというのは、我々日本人の暮らしに根付いた飲み物だと思うのですが、田山さんは食に対する戸惑いが感じられる時代にあって、その受け入れられ方も変わってきているという印象はありますか?

田山:ものすごくあると思いますね。私が子どもの頃、高度成長期の日本では、ビールというのは贅沢品でした。それから、産業が豊かになってきて、物の価格も手頃になってきて、情報も溢れるようになってきて。そういう時代の流れの中で、ビールの存在や飲まれ方は大きく変わってきたと感じています。

80年代~90年代にかけて、それまで高級品だったビールは家庭で当たり前に飲まれるものになりました。

90年代の後半からは、発泡酒や第三のビールなど、より手頃な価格のビール系飲料が出てきて、一気に広がっていきましたよね。それと同時に品質も向上して、今は安くて美味しく飲めるビールがたくさんあります。

昔はビールって苦くて、味も濃いものだったと思うんです。それは時代的にも物が少なくて、みんな飢餓感を抱えていたので、「食べるもの=栄養」であり、同時に刺激のあるものが求められていたと思うんです。

私の祖父なんかは、お新香に塩や醤油をかけて食べていましたからね(笑)。

澤田:そうそう。何にでも、塩や醤油や調味料をかけてましたよね(笑)。

田山:食卓には必ず『食卓塩』っていうのがありましたから。たぶん、白飯をそれだけで食べられるようにという工夫だったと思うんですよね。今でも覚えていますけど、肉が食べられるってだけでも、本当にお祭りのような気分でしたから。

暮らしの移り変わりの中に見る“豊かさの本質”

澤田:僕は毎朝、滋賀に住む母に電話をしているんですよ。このところ、やっと親孝行になって(笑)。

今日は、ここに来る前「うちではビールって、いつ頃から飲むようになった?」って聞いてみたら、戦争をくぐり抜けて、しばらく経ってからだったと答えていました。戦後、映画や雑誌の中にしか出てこなかった飲み物が、次第に田舎町でも出回るようになって、それからだんだん家に入ってきたそうです。

雑誌『暮しの手帖』は買ってたけど、ビールはなかなかだったと(笑)。うちのおかん90歳なんですけど、めっちゃ覚えてるんですよね。

すごいですね!記憶が克明に。

澤田:僕は1957年生まれなんですが、当時はまだ冷蔵庫もなかった。いわゆる三種の神器と呼ばれた家電で、うちにやってきた順番は洗濯機、冷蔵庫、テレビだったと言っていましたね。

当時、家事で一番しんどいのが洗濯だったみたいで、どの家も近所の川を使って洗濯をしていて、時々洗濯ものが流されちゃって走って追いかけたりしてたみたいですよ(笑)。その川には豊かな水が湧いていて、それは今の価値観で考えると貧乏なのか、贅沢なのかわからないですよね。だって、湧水で洗濯ですよ!

田山:本当に、そうですね。

澤田:ビールは、冷蔵庫と共にだんだんと家庭に定着してきたみたいですね。母が今でもよく覚えているのは、父がある日曜日の昼間にビールを飲み出したシーンだそうです。「なんて贅沢なことを!」と憤ったと話してました(笑)。

でも、そのビールはどんなに美味しかったろうなって、息子の僕は想像します。

田山:やっぱり、当時はビールって家父長が飲むものだったんですよ。もともとは、外で飲むものだったのが、家庭で飲めるようになり、酒屋さんが宅配してくれるものになった。そうして家にやってきたビールの大ビンがテーブルの上にドンっと置かれていると、豊かなステータスが感じられるし、それを飲めるのはやっぱり家父長だったんだと思うんです。

澤田:あとは、客人のおもてなしとして、ですね。

田山:僕自身、社会人になってから、実家に帰って大ビンの栓を抜いて飲んでいると、親から「何だお前、そんな贅沢して!」って言われた記憶があるんですよ。「ビール会社に勤めてるんだから、それくらい、いいじゃないか!」って思ったんですけど(笑)。だけど、親の世代からすると、やっぱりビールは贅沢品だったんでしょうね。

澤田:流行り物っていうのは、最初に街とか、雑誌とか、ちょっと憧れのところから出てきて、それから家庭にやってきて「家でもできる」という位置付けのものになっていきますよね。

世の中の流れと呼応するようにしてビールが広まっていったことがよくわかります。

田山:そうですね。ビールの広がりを考える上で、最も大きな変化は流通の構造だと思います。もともと町の酒屋さんが家に届けてくれるビールが、スーパーやコンビニができて、そこで酒類の販売が可能になったことで、ビールは飲む人が自ら買いに行き、選んで買うものになりました。

そうすると、運ぶことを考えて、瓶よりも軽くて安全な缶が好まれるようになり、それに合わせてキリンビールでもどんどんと新しい商品がつくられるようになった。そういう歴史を見ると、効率性や利便性に寄り添う形で変化してきたといえます。

澤田:昔は町ぐるみでちゃんと商売のコミュニケーションができていたんですよね。ビールは届けてもらうもので、瓶は返す。そうして売る側と買う側のコミュニケーションが当たり前に存在していた。

『暮しの手帖』などの家庭雑誌も同じで、町の本屋さんが配達してくれるサービスがありました。そうして、町の人たちはそれぞれ支え合って、経済が回っていたんですよね。で、月末になると請求に来はる(笑)。

田山:注文してもいないのに、「そろそろないでしょ」って言ってね(笑)。豆腐なんかも、みんな売りに来てたし、数十メートルいけば八百屋さんがあり、魚屋さんがあるという世界でした。

そういう時代と、今の世の中、どっちが便利なのかわからなくなってきますね。価値観が一周回って、昔の暮らしの方が贅沢に思えるという感覚は少なからずある気がします。

澤田:京都では、「振り売り」といって、農家さんが朝に採ったばかりの野菜を軽トラいっぱいにのせて、売りに来るという文化があります。それって、すごく贅沢ですよね。

ある料理研究家がおっしゃっていましたけど、「野菜は、不思議なことに新鮮なものほど安い」って。つまり、産地では鮮度抜群の野菜が安く買えるけど、東京に着いたときは新鮮さが失われているのに高くなっている。都市の規模は小さい方が良いっていうことは言えるかもしれませんね。

田山:街が大きすぎて、供給する量が増えれば増えるほど、顔の見える付き合いはできなくなってきますしね。

澤田:そうですね。これって、完全にクラフトビールの話にも繋がりますね。大量生産大量消費から脱却して、丁寧につくったものを、顔が見える距離感で売り買いするという。そんなふうに小さな町の商いと、クラフトビールの価値観が一致しているなというのは、ずっと感じていました。

つくるべきものをつくって、届ける

2015年にはクラフトビールブランドの『SPRING VALLEY BREWERY(以下、SVB)』が誕生しました。その立ち上げ時には、大量生産大量消費で、まるで工業製品のようなイメージを持たれるようになってしまったビールを、畑から採った作物を原料に、人の手によって造られているという本来の姿に戻したいという意図があったと伺いました。

田山:そういう想いはありましたね。ビールがつまらないものに見えてきちゃってるという危機感があったんです。それこそ贅沢品だった頃には、憧れの商品だったはずなんだけど、いつしか当たり前に飲まれるようになってきて、ワクワクする対象ではなくなってきたというのがあって。

澤田:まさに、さっき電話でうちのおかんが、そういう話をしていました。「あんたらみたいに、そんな湯水のようにビールを飲んでなかったわ」って(笑)。

田山:そうですよね(笑)。だけど、本来のビールって、背景にストーリーがあって、多様性もあって、もっとワクワクする飲み物なんです。それが、人工的でメタリックなイメージが立ってしまって、画一的でつまらないものと見られるようになってしまった。

確かに、技術の向上によって、いつでもどこでも安くて品質の高いものが飲めるようになったことは、とても素晴らしいことです。これを実現するためには高度な技術が必要で、これまで積み重ねられた努力のたまものなんです。でも、それと引き換えに手造り感が失われてしまいました。そのことに対して、忸怩たる思いがあったんです。

だけど、大量生産大量消費の流れから外れて、小規模で丁寧なモノづくりをするというのは、経済合理性からは距離を置くスタンスですよね。売り上げという点から考えると、リスクも大きいのかなと。

田山:クラフト単体で切り出すと非効率ですよね。クラフトビールは普通のビールよりも単価が高いとはいえ、少量ずつ丁寧に造っていますから。儲かるビジネスになるのはもう少し先かもしれない。

澤田:本当はもっと高い値段にしたいんじゃないですか?本音を言えば『暮しの手帖』もそうなんです(笑)。

田山:(笑)。僕たちは、儲からないことよりもビールがつまらないものになってしまう方が危ういと思うんです。だから、僕たちはちゃんと面白いと思ってもらえるビールを造って、届けることが使命だと考えています。

澤田:自分たちが「つくるべきものをつくる」というスタンスは、『暮しの手帖』も一緒です。そのために、創刊以来ずっと広告を取らずに雑誌づくりをしています。

雑誌を読むのは読者ですから、それは読者のためにつくっているのであって、広告を出してくれるスポンサーのためのものではないんです。だけど、残念ながら、世の中にある「媒体」と呼ばれるものの大半は、広告なしでは成り立たない収益構造になっている。だから、不況になって広告が取れなくなると雑誌は「休刊」になってしまうんです。

田山:そうなると、読者ではなく、広告主の方を向いて雑誌をつくることになってしまうんですね。

澤田:はい。僕たちは広告に頼っていないから、誰にも忖度しなくていいし、誰にも気を使わずに雑誌をつくれる。読者とだけ向き合う。だから、売れなくなると大いに焦る(笑)。

田山:(笑)。

澤田:ただ、真面目な話、雑誌づくりというのは、読んでくれる読者にだけ向き合うことが大切なんです。本当に。広告が悪いとは申しませんが、それはあとについてくるもの。

田山:僕たちも、クラフトビールを造る上では、独自性というのを重要視しています。そうやって造られたビールは、確かに普通のビールよりも高いんですけど、そこに金額に見合った価値を見出してくれる人が少しずつ増えてきている実感はあります。

人生の中で可処分所得って限られているんですけど、自分が「コレは!」と思うものにお金を払いたいという価値観の人は増えてきているんじゃないでしょうか。

後編につづきます。

文:阿部光平
写真:土田凌

後編 ものづくりにおける個性と多様性が同居する世界 11月8日 公開予定

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